寝る前に

ではではとか書いておきながら結構書いてる。そんな丑三つ時。
ちょっと泳ぐ事について書きますよ。


すこーしシンミリした内容なので、例によって続きを読むで。

小児喘息の治療のために始めた水泳。
続けているうに『速さ』を求めるようになり気がつけば『選手コース』へ。
時に小学3年生。・・・2年だったかしら。
背泳ぎ、クロール、バタフライ。平泳ぎ以外は得意でした。*1
元々は背泳ぎを専門にしてて、(まぁどれをとっても良かったんだけど)バタフライを出来る人が少なかったのでバタフライに転向。専門としてはクロール(自由形)も。
団体メドレーとかそう言う関係ですよ。
同年代でチームを組むんだけど、俺以外にバタフライ出来る人がいなかったんでね。


選手コースに移って半年。
月、水、金。周に三日、一日5km以上泳ぐのにも慣れました。と言うか速さを考えなければ無限に泳げるくらいに体力がついてました。
夏に県大会がありまして。クロールとバタフライで準優勝。県で2番。*2




・・・自分で思い返してみても、アホかと。
と言うか当時自覚ないし。ただ泳いでただけ。ただがむしゃらに。


まぁ通ってたスイミングスクールが結構な規模だったので、月一くらいで開催されるスクール内の大会とかもありました。
そんな場数を踏み、経験を得て翌年の夏、また県大会。
もう第6(5だっけ?)コースは俺専用になってました。


・・・また2番。クロールでもバタフライでも。今度は団体メドレーでもだったか。
と言うか一年前と一番のヤツとの差が縮まって無かった。
まぁまた来年がんばるかなぁと思って暫くしたある日。






咳が止まらない。
そう言えば練習中のプールの塩素濃度が濃くて、練習中もみんな咳してた。




やっぱ塩素はきついなぁとか思いつつさらに練習。
練習中に咳をすると何故かコーチに怒られた。





で、気がついたら普段の生活の中でも咳が止まらない。息苦しい。
体調も何だか思わしくない。
もしやと思った母が病院に強制的に連行しました。









医者「あ〜小児喘息ですね。これ以上やったら君、死ぬよ。」











別に目の前が真っ暗とかにはなりませんでした。
ただ「あの息苦しいプールの臭いから解放されるんだ」とは思ったけどね。
喘息を治すために始めた水泳が、喘息を再発させるきっかけになるとは思ってもなかったよ。



その後はスイミングスクールをやめて、苦い漢方薬を何種類か服用して小児喘息を克服。5年生からは中学受験のために塾通い。


そして中学高校と進み、今に至ると。



後から聞いた話によると、他のメンバーも俺の後次々辞めていったらしい。
やっぱりみんな病気とかで体を壊したそうな。
俺のメドレーチーム4人の内、俺を含め三人が病気で退場。



・・・なんだかなぁ。
あの時ドクターストップかからなくても受験で辞めていただろうけど。




実家に帰ってきて、小学校からずっと使っていた机の引き出しに入ってた銀メダルを見て思った。

*1:モチロン平泳ぎも出来ますよ。ただし、選手としてはって事。

*2:一番のヤツとの差が2秒くらいあったけど。アイツ>>俺>その他って構図だった。